とうえのブログ

若年性パーキンソン病でアラフォー難病女子の自由な思いや日常

仕事したくない辞めたいと悩んでいた時が今ではうらやましい

こんにちは、とうえのです。

今回のお話は、とうえのが失職し、無職で身体も動かなくて働けずに、自宅で過ごしていた期間の気持ちを書き留めていたので上げたいと思います。

ちなみに当時はパーキンソン病の診断は受けておらず、精神科通院し抑うつ転換性障害と診断を受けていた頃になります。

 

 

私は2019年1月に仕事を休職しました。

しばらく休んでいればじきに良くなる、という医師の話を信じて実家に戻り療養していましたが、身体は思うように回復せず、職場規定で休職期間は半年とのことによりやむなく退職しました。

 

昔から仕事というのは嫌いでした。

「なんで仕事をしないといけないんだろう」

「働きたくない…」

「仕事したくないし行きたくないなー」

などなど普通に動けていた頃はこのような思いが頭の中には常にありました。

時には仮病を使って休んで遊びに行った時もありしましたが、それももう遠い昔の話です。

 

しかしですね、ほんと人生ずっと生き続けていると何が起こるかわかりませんね。

まさか仕事ができない身体になってしまうなんて思ってもみませんでしたよ。

 

勤めた会社を辞める時に退職の挨拶のため会社へ行き、事務員さんや当時の施設長に「辞めることはとても悔しいです。」と話して回りました。

当たり前にやってきた仕事を失ってしまったことの喪失感で心が押し潰されました。

今現在も仕事ができないことが悔しくて悔しくて、たまらず泣いてしまいそうになります。

 

でもこれは夢でもなく現実。

どれだけ泣いても喚いても時間が戻るわけもなく、身体がよくなるわけでもないので、もうその事を考えないようにするしかできません。

仕事をしたくない、仕事辞めたいと毎日のように悩んでいたあの頃の自分が羨ましくてしょうがないですね。

ずっとあると思っていたものを失ってしまったことの傷は思った以上に深いです。

 

でも改めて考えると労働は嫌いでしたが、仕事をしている自分のことが好きだったんですね。

しょうもない話ですけどそう思ったのは事実です。

 

ケアマネという仕事でしたが、その肩書きも自分にとって一種のステータスだと思っていました。

なんて見栄っ張り…、ですけどそれも私なので受け入れます。

どちらかといえば仕事人間で、仕事が生きがいでした。

急な利用者・家族の対応を休みの日にもどうしても行わなければいけない時も(休みの日にまで仕事をする自分、なんて素晴らしいんだろう!)とか、24時間連絡体勢加算をとっているケアマネ事業所だったので転送用携帯当番で休日にしかも日曜日の夕方なんかに連絡を受けた時、(もー、なんで休みなのにかけてくるのっ)とイラッとするも、しっかりと対応している自分に満足していました。

 

仕事は嫌でも仕事をしているという充実感を感じられていたんです。

存在意義を仕事で埋めていたんだと思います。

 

親の脛齧りで何もできないでいる日々を過ごしていると、自分の存在意義について毎日毎日考えてしまっています。

転換性障害で足に力が入りにくく身体が動かしにくく働けない、実家に引きこもりで仕事もできず何も生み出せない、こんな自分はこの世にはいらないんだ本当は…存在意義なんてないよ!

などネガティブいっぱい負のオーラ満載な思考回路。

立っているだけなのに踏ん張れなくて転んだり、身体が思うように動かしにくい時などより強く出てきます。

 

存在意義とはその者が存在していることの意味や価値、重要性のことですが、生きていく喜びや生きるための楽しみとも考えられるそうです。

私にとってその存在意義の大部分を占めていたのが仕事だったんでしょうね。

依存に近かったかもしれません。

 

ケアマネの仕事のために自己啓発本を読みあさったり、関連の講習会やセミナー、勉強会には業務時間外でも休みの日でも参加していました。

プライベートの時間を大事にするよりも仕事に重きを置いていた自分。

無駄ではないかもしれないけど…、無駄じゃないかもだけど…。

 

もっともっと自分のことを大事にして過ごせば良かったよーー!

 

あの時は一生ケアマネの仕事をしていく!と思っていたので当時の行動は間違ってないと思いますが、その仕事を取っぱらった自分に何ができるかという視点は一切なかったせいで、だから今ノースキルで苦しんでいるわけで、何もできない状況の中存在意義を見出せないでいるわけなのです。

 

今の生活は家からもそして部屋からすら出ない日もあり、誰とも顔を合わせない、声を発しない日は多くて週7あります。

時々は友人と会ったり電話したり、お問い合わせの電話をかけたり買い物に行ったりもしますが、毎日ではありません。

 

仕事をしていた時には毎日人と会って関わりがありました。

職場の人、法人内の職員、他事業所の人、利用者家族などなど喋らない日はなかったです。

業務以外でも何気ない挨拶やちょっとした会話、何かしら様々な人とコミュニケーションをしていたのですが、今はゼロに等しい….。

 

人との関わりがなくなってくると、次第に人と関わることが怖いと思うようにもなってきました。

むしろこんな風になってしまった今の自分の状態を見られたくない気持ちがあります。

なりたくてなったわけじゃないし、まして自分のせいでもないのに、置かれている状況や環境もありそのように考えてしまうのです。

人との関わりは人間にとっては必要なことなのですね。

 

でも、仕事したくない辞めたいという気持ちになるのはしょうがないのではないでしょうか。

だって実際ほんとに仕事したくないし辞めたいと思うのだから。

そう思って悩んでも結局はその後自分がどう動くのかにより事態が変化したり、変わらないままだったり。

でも仕事がある、仕事ができているということが突然なくなってしまいできなくなってしまうことの喪失感や虚無感は半端ないですからね!マジで!

 

今の私からすれば仕事あっていいなぁ…、仕事できてうらやましい限り…。

一つの仕事のスキルだけじゃなくてもっといろいろなスキルを得ていれば良かったと思っています。

無駄に後悔ばかりしていても容赦なく1日は過ぎていくわけでして、思考をポジティブにむりくり変換させて考えると、今までの経験は仕事での経験も含めて全部自分の宝物です!

 

宝物がいっぱいあると思うと悪くないですね。

 

 

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